いつか死ぬ日のためじゃない
いつか死ぬ日のために、今を考えることはしないと決めた。
「いつ死んでも悔いはない」という言葉は、私には未来にある「死」を念頭に「今」を生きているように捉えられる。
けれど、なんだかそれは違うと思った。
私は最大限に今を生きたい。
もちろんいつか死ぬのだ。
本当に明日かもしれない。この次の瞬間かもしれない。
または、50年後かもしれない。
「何のために」その行動をするのか。
それを明確にしていたい反面で、目的のために自分の中にあるこころの声をないがしろにしたくもないと思っている。
生きるために食べるのか。食べるために生きるのか。
食べるために働くのか。働くために食べるのか。
では、生きていくために働くのか。
苦しまずに生きることが良いことなのか、あるいは苦しんだからこそ見える喜びがあるのか。
その時その場、その体調で何もかもが変わって見える。
同じことを言っていても、眺める角度が変われば物事の捉え方は全てガラリと変わる。
生きることと死ぬことは紙一重とはよく言うけれど、ひとつ言えるなら、
「生きること」は「今」にできるが
「死ぬこと」は「今」にないということだ。
いや、死ぬときの「今」はいつか確実に体験するのだが、「今生きているこの瞬間」ではないのだ。
だから、「いつか死んだ時に後悔しないため」に「今」を生きることはしたくない。
「今」この時に、この自分であるだけだ。
今、とある本を読んでいて、まだ途中なのだけど強烈にそう思った。
なんども涙を流している。書いてくださった方に感謝の念が止まらない。
ありがとうございます。
今生きてこの本を読んでいるから、こころからそう思える。
「いつか死ぬときのために」そう思っている、とはとても思えない。
これが私にとっての「生きる」ということなのだ。
いつか死ぬときのためには、生きない。
生きているという「今」に、ただいる。
私の今の答えは、それだ。