他愛ない話を延々と

メンタル弱めな30代の果てしない戯言です

生きててよかった。

たった今、テンションがやたら高いのでそれに任せて書こうと思います。

今夜も脈絡なく思ったことを書いていく、このスタイルです。

 

何が起こったかはまぁ読んでいけばだいたいわかると思うんですがその前にまず、

私ってインターネット恐怖症なんです。唐突ですけど。

怖いんですねやたらと。ビビリだし人見知りなので、顔も見えないのに「これは何か距離感を間違ってしまってないかしら」とか「うーんこれにいいねとか押すのはどうなの」などぐるぐる考えてしまって結局変なところに「いいね」だけ押して謎に去る、みたいなことをやりがちです。

そういうことをされた覚えのある方いらっしゃいましたら、

なんか、ほんと、すいません。

ネットも対面も、距離感って時としてとても難しいんですよね。

でもそんな私でも誰かに反応をもらえるというのはとっってもうれしいことなのです。

なにせ自分自身のログイン通知にすら、「!!」なんて目を輝かせちゃうくらいの人ですから(自分がログインしたの!?通知でお知らせきた!すごい!的な)、

他人からの通知なんてもう天にも登る気持ちで一日をるんるん過ごしちゃうレベルです。

嘘じゃないですよ。

 

こんな世界の片隅でたわ言ばかり垂れ流しているブログ(あるいはツイッターだけでも)が誰かの目に一瞬でも止まってるかもしれないのか…と、それだけでもう。心踊ります。ジャンルは阿波踊りです。

生きていて何か思いを形にすると、誰かは見てくれてるのかもしれない、それだけでやっぱりうれしいのです。

だからと言ってそれを目的に生きる、つまり承認欲求に突き動かされて生きる、ということにはならないように生きようと思うし、多分それはもう大丈夫なのですが、何かしら他者からの反応があるということはやっぱり心の糧になります。

 

数年前、複雑性PTSDの症状にともなって、摂食障害の症状と様々なことに過敏になる症状がマックスに出て世界と自分が断絶したかのような日々を送っていた時期がありました。

もう地獄のような日々で、世界がとても怖いところのように感じていました。

人の言葉がとても怖くて仕方なくて、非難の飛び交うネットなどはもう論外。

なので一日に2時間だけ、午前と午後に時間を決めてスマホに触れていました。

ネットを禁じていたのではなく、恐怖でできなかったのです。それは今も完全に克服できていません。情報過多が苦手というか、圧倒されてしまうのです。克服する必要もないかなと思っています。

だからうちにはテレビもありません。視覚からの情報が多いと脳がすぐにキャパオーバーするので、今も主にラジオで聴覚から世の中の動きを知っています。

というわけで、とてもつらい時は2時間だけネットに触れるという「受動的」な時間を自分に与えることをしていました。受動的に自分が情報を得たい先はだいたい、方向性が似たような人や事柄に隔たってしまうことも承知していましたが、それでよかったのです。

怖いこと、キツイ言葉、誰かを激しく非難する顔の見えない人からの暴力からはとにかく遠ざかりたかった。

 

 

長いのでパート2に続きます。