他愛ない話を延々と

メンタル弱めな30代の果てしない戯言です

生きててよかった。パート2。

前回からの続きです。長くなったので分けました。

 

その中で一般的に、多分…ですが「すごい」と言われる、時々バズったり(?)するような、「ああこれが本質なんだな」と思うことをツイッターで呟かれる方たちだけをPCのタブに残しておいて、一日の決まった時間にリロードボタンを押し最新のつぶやきを見る、という方式をとっていました。

そうすることでネット特有の「あれもこれもどうぞ、興味あるでしょ」攻撃の情報量に圧倒されずに済んだから。

そういう方たちの「これは!」と思うツイートなどは、後からスマホで見てスクショし、なんども見返してお守りにしていました。

 

その中で今でも覚えているツイートがあります。

 

全文をそのままコピーはできないけど(流石に暗唱もしていないので笑)、ニュアンスになりますが

「毎日がつらい、もう頑張れないと思う中であなたが発したその言葉が、あなたのその経験が、支援者にとっての気づきになり、経験になる。そしてその経験がまた他の支援される誰かへの明日へつながっていく。」

みたいなものでした。すんごくうろ覚えです。ごめんなさい。

その方はもっと素晴らしい文章で書かれていたと思います。

それを読んだ時とても感動してしまって、しばらく打ちのめされたことを覚えています。

そのあとに涙が出たことも、はっきり覚えています。

私が苦しいと思ってこの思いを伝えることは、もしかしたら誰かの経験になっている「かも」しれないんだ。名前も知らない誰かの、何か一部になっている「かも」しれないんだ。

生きていくことの意味を必死に探してしまうこともあるけど、可能性はある「かも」しれないんだ。かもしれない、だけど。でも、可能性だもん。

 

今生きている私のこの経験こそが生きる意味であり、誰かにとっての必要不可欠にもなるの「かも」しれないなんて、多少厚かましくもありますがそんな風に思えた、最初の瞬間でした(その割りにはツイッター文うろ覚えすぎるだろ、というツッコミはさておき…)。

 

私が生きて、ここにいることには必ず何かの意味がある。

生きることは、私が必死に救いを求めた先のタブの上でリロードされたその瞬間、目にしたそのツイートのように、

いつかの私と今の私がつながっていること、誰かの発した一言と今が確実につながってるよとしっかり証明していくことの連続なのかも。

そして、それがまたこの先の未来に見えない何かでつながっていくことを証明していくことでもあるというか…。

うまく言えませんが、こうして「生きていてよかったな」と思える瞬間を確実に受け取っているのだから、生きることは私が誰かに感謝することの中にもあるとも思ったのです。

その感謝が本人に届くかどうかはわからないけど、こうして心に大事に持っていることで、私自身が今日もがんばろうって生きていくことができる。

もうそれだけでも充分な気もするのです。

 

できれば直接届けたいなとも思います。感謝って、持っていても気持ちがいいけれど、お届けするともっと気持ちがよくなるから。

誰かを批判的に見るよりも、ありがとうで人生をつなげていく方が絶対にあたたかい。

ありがとうって本当に幸せな言葉だと思うのです。

 

ここ三日くらい鬱が酷く、腐った野菜の芯になったような気分でした。

誰かからのたった一つの通知でこんなに幸せになれる自分って、幸福だなと思います。

 

どんな形であれ、私に関わってくれる方、これを読んでくださる方、本当にありがとうございます。

生きていて、本当によかった。

あんまり嬉しくって、また長文を書き連ねてしまいました。

今夜はとても浮かれています。ただただ、嬉しいです。

何度でも言おう。生きていて、本当によかった。