④摂食障害と私(リセット癖)
(摂食障害と私シリーズの続きです。)
必死になって深夜3時、4時まで受験勉強をしたおかげで私は見事志望校に受かることがでできた。
中学の同級生が誰も受験しないことを確認して進学先を選んだので私がいじめられていたと知る人は誰もいない。新しい世界だ。
私の人間関係リセット癖はここからもうすでに始まってたんだなと思う。
最近までも何かうまくいかないと人間関係は断絶する癖があって、誰も知らない場所に所属してまた一から「一度も失敗しないように」自分という人をスタートさせるのだ。
人生の目標はいつもフーテンの寅さんのような人で、それを公言していた。
寅さんをじっくり見たことがある人がそこまでいなかったのが救いで(私自身、ぼんやりとそれをわかって言っている節もあったが)、みんな「あーそうなんダァ」といって適当に笑って流してくれていた。
この頃はことあるごとに自傷する癖は酷くなっていて、もう儀式的に毎晩行わずにいられなかった時期だ。
高校では割とイケてる系のグループに属することができたため、髪を染めたりメイクを始めたりしてちょっと垢抜けた。ずっとメガネだったのだがコンタクトにも変わっていた。
スカートを短くすることは抵抗があったのだが、ギリギリまで短くした。
代わりに、自傷痕のある腕は隠れるように長袖を着るようになった。
夏場はできるだけ「自傷衝動」を抑えることを試みていたが失敗に終わることが多かった。
思えば「衝動」なのだから止められなくて当然だった。
この時はあまり自分の体型を鏡で見ないようにしていた。
プリクラが流行ってた時期だけど、自分の全身が映る時には「←デブ」などの落書きをして人からのツッコミに予防線を張っていた。
これくらいは今の高校生もやる感じの自虐なんだろうと思う。
なんとかなしいことだろう。
いつか書くと思うが私はこの人生で何度も「あ、これは死ぬな」と思う経験をした。
それは自殺未遂であったり、拒食の果ての体重減少からくる絶望、死の予測だったり。
だけど今、確かに私は生きている。
内面や外見を決して肯定してはならないと信じきってなんと30歳くらいまで生きていた。なんと、自己否定の30年だ。そりゃ苦しいよな。
他人から何かしら肯定されても(たとえそれがお世辞であっても)「謙虚に」きっぱりと否定していた。そうしないと何か大きな罰を受けると思っていた。
たまたま生まれつき「美の基準」の合格点に達した点を褒められると
「いやいや、でもここがマジで肉だから。ここなんてホラ、これオッサンだよ」
などとその場でウケそうなことを咄嗟に言ってなんとか回避する。内心は必死だがソツなくこなすことがポイントだった。そうするとなんとなく「いい人」になれる。
なぜか相手と打ち解けられる。これは私の経験上事実だったし偽の成功体験だった。
だから何度でも繰り返した。そうすることで偽の人間関係ばかり作り上げて安心していた。
そしてどこかでぶつかり合ったり傷ついたりするたびにまた全て断絶する。リセット癖だ。
ゼロか百か。一個「ダメだ」と思うことがあるともうなかったことにしたくなる。
そんな考えは食べ方にも現れる。
これ食べたらここまでの努力が無駄になる。拒食にも現れるし過食嘔吐は全部吐いてゼロにしようとする行為そのものだ。
私にとってゼロか百か、生きるか死ぬかみたいな感覚は、
「世界は安全か危険か」を自分でコントロールしたいという心の叫びだった。
安全でないなら、大丈夫じゃないなら怖いからもう自分でゼロにしたい、
自分ごと全部なくなって何も感じなくなりたい。いつも一か八かで人生はどの瞬間も到底勝ちが見込めないギャンブルみたい。
なんでこんなに苦しいの。
早く終わりたい。
いつもそう願っていた。