愛されるより愛したい
プライベートって言えるほど大したオンがある生活ではないのですが、
プライベートでごにょごにょありました。
私はとにかく雑さが目立つ人間で、拘りたい細部が一番どうでもいいことだったりします。
プランの段階で練りに練った天才的な策は大抵実現不可能で、形にするときには材料も足りないわ、物にする知識も技術もないわ。そんなんだから結局最後はそこらへんにあるものを勢いでかき集めてセロハンテープでくっつけただけ、みたいなやっつけ仕事現象がよく起こります。
人間関係でそんな感じになってしまうときは、大抵守りが強すぎるとき。
もうこれ以上拒絶されたくない、傷つきたくないと用心深くなりすぎてしまって、人と親密な仲を築く前に破綻してしまうこともしばしば。
これまでの多くの私の傷つき体験が私をここまで頑なにしてしまったんだなと思います。そんな自分もまた、今は愛しくもあるのですけど。
最近の私の問題もそんなことが大きく影響してるのだなと何度も思いました。
結局過去の体験は良くも悪くも私の中に生きていて人間関係を困難にさせたりし続けるのですね。
でも今回違ったのは、「誰かに満たしてもらう」ことでそれを解消しようと思わなかったことです。あの苦しい感じが全くない。
できれば与えたいなといつも思えるようになりました。誰に対しても。
あ、これか。と思ったのです。
有名な某アイドルの曲に「愛されるより愛したい」なんてありますけどそこまで深くはわかってなかったなと思います。私は、愛されたかった。ずっと。
子供の頃から真に愛される感覚を知らずに大人になってしまったので、まずは誰か他の人に満たして欲しかったのです。
そしてその欲求は強すぎて相手に求めすぎ、際限なく満たされたい私と与えても与えてもキリがないと燃えつきそうになる相手とのマラソン競争みたいになってしまうのです。とても持続不可能な、苦しいアレ。
でも今回はどことなく余裕です。
私は、愛することを知って、確実に変わったんだと思います。
誰かをではなく、自分を。
誰かに満たして欲しいという気持ちは苦しいです。
でも、これまでのどんなにへっぽこな自分も「がむしゃらだったんだな、よく耐えてきたよ」と思って振り返ってあげることで、愛おしく思えてきたりします。
汚点だと思っていたことも、挫折したことも失敗も全て。
自分に対して良いイメージを持てているとき、人生が全体的にふわっと軽くなって楽しくなります。
ああがんばってきたな、えらかったなって自分を認めてあげると、自信がつきます。
何かにすがらなくてよくなる。誰かに認めてもらう必要はなくなるんですね。
溺れるものは藁をもつかむ、の状態で人にすがっていたあの頃があるから、今私はしっかり自分の足で立っていることに自信を持てます。
そして、そんな自分で人を愛していたい。
与える側の人でありたいなと思うのです。
あのヒット曲のタイトルをこんな風に捉えられるようになってよかったなぁ。
自分のことが好きだと、いろんなことを、人を愛したくなる。
愛されるよりも愛したいマ・ジ・で!
なのですよ。