健全に感情を感じ切る。
今日は嬉しい、楽しいといった感情が大きい一日だった。体のバイオリズムのせいもあるし、昨日までは負のストレスがかなり溜まっていた。
こんな風にアップダウンが激しい時は積極的に体を癒していかなければいけない。
アロマディフューザーでゼラニウムの香りを炊き、キャンドルを灯してみたりする。
いつもそんな手間をかける余裕があるわけではないが、割とそういうことが好きなのだ。
キャンドルを焚いている間にブログの文章もだいぶ書きあがった。
多少満足して、パソコンから目を離した。
パソコンはブルーライトの刺激が強い。目を休めようと人からもらった手紙を手に取り、なんとなく読み返しているとその文章にこころの底がじんと熱くなった。
手紙はやっぱりいい。
パソコンは便利だしこんな風に私にブログを書かせてくれるけど、手書きの手紙に勝るものはない。自然と表情筋が緩んで笑顔になってしまう。夢中になって何通か読んで目をあげたら、二つ炊いたキャンドルのうち一つがいつの間にか消えていた。
残った一つの火だけが心許ないけれどまだちらちら揺れている。
すると唐突に昔に亡くなった親友のことが頭に思い浮かんだ。一気に感情が訳のわからないものになってこみ上げて、涙が出そうになった。会いたい。やさしかった友達。私が一番つらかった時に、一番近くにいてくれた最高にクールなナイスガイ。やさしくて穏やかで、でもとても感情に素直に泣いたり笑ったりする、純粋で小さな子どものような人。
会いたい、と書いたが厳密にはちょっと違う気がする。会えないけれどいつも見ていてくれるんだなと思える感じ、すごく近くに感じるのに体がそこにない不思議、でも誰よりそばにいてくれて、私をずっと肯定してくれている感じに包まれて泣いてしまいそうになる。
なぜかこの瞬間のことを書き記しておかなければという気持ちになって今慌てて打っている。
この感覚が消えてしまう前に。
感情的になることは良いことだ。
おととい、昨日は怒りの感情がひどかった。そんな自分もいいなと思えた。
今日はそれに勝る深い喜び、友人の笑顔、泣き顔があった。とてもうれしいニュースもあった。
そして何か一つは私も頑張ろうと思った。
夜も更けて、少し気が緩んだ瞬間に急に死んでしまった人のことを思ってこの表現しがたい複雑な気持ちの中にいる。
言葉にならない気持ちだけど、こんな風にふと私の胸の中で何度でもその人は蘇るし、ずっとこころの中で生きていると思った。
こんな風に感情のアップダウンが激しいが、なぜか全く苦しくない。
怒りも、喜びも、会えない淋しさも、誰かを大好きだよと思う気持ちも、すべて私の大切な一部としてちゃんと私の中に存在している、そのことが大切だ。
この数日、ちゃんと感情的であった自分をうれしく思う。
健全に生きるとは、感情に対して見ないふりをせず自分のものとして引き受けて人に伝えて、自分で考え方の癖や陥りがちな思考に気づき、その都度癒しを与え続けていくことだと思う。
もちろん体に必要な栄養と睡眠も与えながら。
消えた火が恋しくて泣きそうになる。また名前を呼ばれて呼んで、一緒に好きな音楽を聴いて笑い合いたい。もうこの世ではできないから、私はチラチラ情けなく揺れながらここでひとりで聴く事にするよ、ヘイジュード。イエスタデイはレットイットビーだったのさ。
そして今日もワイディングロードを行くよ!
これからも私の中で生き続けておくれ!私のジュード。