豆腐メンタルであるのなら、この際考えも豆腐のようにゆるくしよう
できるだけゆるくいきたい。
どうも頭がかたいのがいけない。
あまり深く考えないよう生きようと思うと全般的に注意力散漫になるため、ドアが開ききっていないのに突進して肘あたりにあざを作ったり、
温まっていないフライパンに油を引いて思ったほど野菜がジューっと言わず、鶏ガラの素を入れなかったのでなんとも締まりのないまずい肉野菜炒めを食べる事になった。
まずい肉野菜炒めを食べながらぼんやり幸せだなーとは思う。
さっき切った玉ねぎのせいで室内干ししてあったバスタオルが玉ねぎ臭かった風呂上がり。
いいシャンプーを使った日に限ってこれだ。萎えるわ・・・。
私の場合、注意深く生活していないとこのように全体的にガサツさがかなり浮き彫りになることがわかっている。あざなどが増えないよう自分の体の感覚くらい注意しておきたいところだがこれがまた難しい。
とりあえず真人間を目指して明日また求人サイトを徘徊して今度こそは「これだ!』と思う仕事を見つけて応募するのだ、と思いながらも手にとったスマホでいつの間にかネット通販の洋服をダラダラと眺めてしまう。うーん、本気ではないのだろうな。なぜなら今は考えがめちゃくちゃゆるいから。
目下のところ頭にあるのは新しいスニーカーのことばかりだ。
あとショルダーなどのバッグ類も。物欲はとどまることを知らない。明日の朝も続きを見てしまいそうだ。こういうときは開いたネットショップのタブを閉じておかなければならない。
誘惑よ、君の罪は重い。
これまでに私は「苦手なもの」に直面したときいかに「向き合うか」を重視して来た。
しかし「苦手なもの」は実はそんなに真剣に向き合わなくてももそこまで人生に影響を与えない事に気づいた。今さらかよっ!というツッコミも聞こえる気がするが。
苦手なものでストレスを感じたらその分好きな事でお金を思い切り使うなどして嫌な事分の労力やストレスをあとで発散してきていた。
しかし、嫌なことそのものにそこまで真剣に向き合わないければストレスそのものもなく、プラマイゼロの行為もしなくて済む。まず「マイナス」がないのだから。
それは惰性かもしれないけど、支出を抑えたい私にとってもストレスを増やしたくない私にとってもいまは平和で倹約的な手法なのである。ストレスも支出も抑えてこう。
惰性に生きてるとどんどん易きに流れる、という懸念もあるが何もしてないわけでもない。
それなりには色々と活動している自負がある。
決して褒められたものではないし、かなり自分なりのやり方なのだけどね。
こんな惰性な私でも「やろう」と思うことはそれなりにはあるのだ。
今年下半期の目標。
・遊びに行けるだけのお金を残すべく、支出を減らす(稼ぐと言わないところがミソ)
・日に複数回ブログの更新をする
・メールや連絡が来たらすぐ返す(あとであとでとやっていると絶対返さない、すぐにだ!)
・「ヒゲダン」と言われて最低5曲は答えられるようにSpotifyを駆使する
・図書館に通う
・大学の課題をすこしでも進める。実習はその後だ。
図書館についてはコロナの状況次第でまだ難しいかなぁ・・・。