他愛ない話を延々と

メンタル弱めな30代の果てしない戯言です

ブログを休んだ訳は承認欲求だ。

さて開始早々にブログを休んでいたのだが、この空白の数日で私のだいたいの自己紹介が済んでしまうのではと思うほどに自分という人間を端的に表してくれている。

遊び呆けた土日だったのも否めないのだが、書く時間が全くなかったのかと言われるとそうでもない。でもいざ書こうとすると重い腰が上がらない。そうなることは最初からわかっていたので「毎日更新!」とか絶対に言わないようにしてたのもあるのだけど。

 

思えば小学二年のとき、クラスで『みんなの新聞』なるものが宿題として出されていた。

テーマはなんでもいいので絵日記を書いて提出し、先生がその日のよかった記事を選ぶ。毎日一記事ずつクラス全員に印刷配布して予め一冊ずつ配られたファイルに閉じていくのだ。その時の先生はカヨ子先生と言ってみんなの人気者だった。もちろん私も大好きだった。

 

私は元来モノを書くことが好きなので『みんなの新聞』に関しては割と気合いが入っていた。

これはイケる!と思う記事は大体熱がこもって指定行数をオーバーした。この文字数に胸を打たれたカヨ子先生は今日のピックアップ記事に私を選ぶに違いない。そう思う日ほど、絶対に選ばれなかった。その日に選ばれたのは牛乳当番で初めて石井さんと組んだ時に失敗して牛乳を落としてこぼした林田君の文章だ。石井さんとみんなが「大丈夫だよ」と言ってすぐに雑巾を持ってきてくれました、ぼくはとてもかんしゃしました、みたいなやつだ。

そんなはずねぇだろ、なんで林田なんかのドジなエピソードが選ばれるんだよ。私が家で必死に練習したツェルニーピアノ練習曲が一冊終わって発表会の衣装も決まった話の方がすごいに決まってるだろ。カヨ子先生は実はめんどくさがってちゃんと全員の文章を読んでないんじゃないか。そんな風に思って内心ふて腐れていた。

そうして私は頑張れば頑張るほど選ばれないことに失意を覚えて次第に書く熱を失い、その日に配られたクラスメイトの記事をファイルに閉じるのもめんどくさくなっていった。何が選考基準なのかさっぱりわからない。こんなに頑張ったことを書いてるのに。カヨ子先生しっかり見てよ、私のこのすごい文章、ちゃんと読んでるよね!?泣いてすがるくらい聞きたかったがそんなことは絶対に聞けなかった。選ばれないことを悔しいと思う気持ちを知られるのも恥ずかしかった。

 

だから熱を失った状態で書いた私の記事が選ばれたときは意外だった。

運動会前の体育の時間に短距離走で絶対に追い越せないと思っていた桃香さんをリハーサルの時だけ追い越したこと。でも運動会本番ではやっぱり負けた。悔しかったという内容のものだ。

大人になった今思うと、もしかしたら桃香さんはリハーサルでは本気を出さなかっただけかもしれない。けれど私はその時一度勝ったことが全ての事実だと思っていた。本番で負けたことは絶対に認めたくなかった。リハーサルのあの一回が、ゴールテープを一番に切ったあの瞬間が私にとっては最高だった。そう思っていたけど日記にそこまで心情を詳しくは書いていないと思う。

本番で私が負けたことは現実で、どう足掻いても桃香さんは足が速くて、私はどちらかというと全てにおいて鈍臭くのろまな子だった。そして人一倍承認欲求が強くて見栄っ張りで、負けず嫌いだった。でもそのようにいることを許されず生きていた。

謙虚で、しとやかで、おとなしくありなさい。勝つのは運動じゃなくていい。文学で勝ちなさい。ピアノで成果を出しなさい。運動は危ないし全くできなくてもいいから、本を読みなさい。遊ばなくていいから、室内で安全に知識と教養とマナーを身につけなさい。

親から私なりに受け取るそのメッセージは教育のようであり、ある意味では脅迫でもあり、可能性の奪取だった。そして私の身体感覚への発達過程を大幅に遅らせた。今となっては本当にそう思う。家庭内でそんな躾を受けていたので私は全く戸外遊びをしない子どもだった。

だから『みんなの新聞』に書くことは親からの教育内容に隔たっており、それでいかに成果を出したか、いかに人にすごいと思ってもらえるかを気にした文章ばかりを書いていたのだ。

カヨ子先生に選ばれる子どもの記事は、子どもがもつ本来の気持ちや、人の優しさや思いやりに触れて豊かになった子どもの、いや人間の本質的なこころの声を反映したものだったのだと思う。

私にはその文章が書けなかった。なぜ自分が選ばれないのかも全くわからなかった。

『みんなの新聞』が大嫌いだった。カヨ子先生に選ばれて印刷された友達の記事のわら半紙は机の奥にぐちゃぐちゃになってどんどん詰まっていった。固まってしまった机の奥の紙の塊を夏休み前に掻き出す作業がだらしない子みたいで恥ずかしかった。漢字ドリルや算数ドリルは一番早く進んでる私なのに。

 

今となってはわかる。短距離走のリハーサルで勝ったことがどうしようもなく爽快で気持ちよくて嬉しかった私の、眠っていた体の声。でもやっぱり本番で負けた悔しさ。私ってこんなことを感じる人なんだ、と自分で知る文章だ。

人に読まれる文章だと思うと気合いが入りすぎること、それが物事を続かなくさせること。

すぐに結果主義に走ること。

カヨ子先生はやっぱりいい先生だった。私の日記を読み、私の記事を選ばないことで「そこじゃないよ」と教えてくれていたのだ。

カヨ子先生がせっかく教えてくれたことに気づけたのに大人になった今もこの癖は変わらないんだなぁと前回のブログを読み直して我ながら苦笑する。

でもこれもまた、私なのだろう。もうちょっと肩肘張らずにゆったり構えていこう。

幸い私はまだブログが書きたい。ここに気づけたことがまた、私の成長過程の一歩なのだ。

少しずつやっていけばいいや。